仲良くしろ、ではない。分かり合えないことを、前提にした技術だ。
物語
千四百年前、聖徳太子は「和を以て貴しとなす」と書いた。同じ条に、続きがある。人はみな党を組み、悟った者は少ない、と。太子は最初から知っていた。人は分かり合えない。だから和は、同じになることではない。違いがあるまま、場を壊さない技術だ。第十条は、さらに低いところへ降りる。私は聖人とは限らない。あの人も、愚か者とは限らない。ともに、ただの凡夫だ。
なぜ、これが日本人を作るか
和を同調と読むと、異論は悪になる。本来の和は、異論を残したまま席を保つ作法だ。神道のあるところに仏教を迎え、どちらも消さなかった人の言葉でもある。正しさで人を裁きたくなるときほど、「自分も凡夫だ」と言えるかどうかが、上に立つ者の強さになる。
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和。 仲良くしろ、ではない。 分かり合えないことを、前提にした技術だ。 私は聖人とは限らない。 あの人も、愚か者とは限らない。 ともに、ただの凡夫だ。
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